新宿から四ッ谷へ
2014.08.02 (Sat)
江戸時代の青梅街道
新宿の天竜寺に、時の鐘。
玉川上水が脇を流れ、水の番屋。そして、大木戸。
すぐに四ッ谷忍町。
伊賀者がすんでいたから?
南伊賀町。
でも、きっと鮫河橋谷町の「伊賀者給地」のほうに、ベラボーに腕の良い忍者が住んでいたのでは?
下人は谷に住む?
今の創価学会文化会館の北あたりに、沼があったようで
いかにも、という感じね。
夏にはジメジメして、毒虫や蝮、蚊や蝿、汚物が上流から流れ込み、大変なところだったのでしょうね。死体のひとつやふたつ、転がっていたりして、でも、十手持ちもここには来ない?
みなさまがおっしゃるように、谷の上に学習院があり、鮫河橋の向こうに皇族、っていかにも文化論的公式がピッタリあてはまり、今はそこに創価学会、ってまあ、なんともかんともそれっぽいところでございますが。
今でも、学習院の谷側は「おまえらあっちいけ」的雰囲気ムンムンですものね。
学習院なんて、知らないわよ。あんなとこ。
フン!
新宿の天竜寺に、時の鐘。
玉川上水が脇を流れ、水の番屋。そして、大木戸。
すぐに四ッ谷忍町。
伊賀者がすんでいたから?
南伊賀町。
でも、きっと鮫河橋谷町の「伊賀者給地」のほうに、ベラボーに腕の良い忍者が住んでいたのでは?
下人は谷に住む?
今の創価学会文化会館の北あたりに、沼があったようで
いかにも、という感じね。
夏にはジメジメして、毒虫や蝮、蚊や蝿、汚物が上流から流れ込み、大変なところだったのでしょうね。死体のひとつやふたつ、転がっていたりして、でも、十手持ちもここには来ない?
みなさまがおっしゃるように、谷の上に学習院があり、鮫河橋の向こうに皇族、っていかにも文化論的公式がピッタリあてはまり、今はそこに創価学会、ってまあ、なんともかんともそれっぽいところでございますが。
今でも、学習院の谷側は「おまえらあっちいけ」的雰囲気ムンムンですものね。
学習院なんて、知らないわよ。あんなとこ。
フン!
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